2017年12月31日日曜日

大晦日@ヤンゴン

 朝早くに目覚める、でもやる事ないんですけど。
 10時頃までホテルのWiFiでネット、その後SIMを買おうと外へ、通常のSIMはいくらでもあるんだけど、旅行者用の期間限定のSIMはどこに行っても見つからない、空港へバスで行けるか訊いてみたら、近くまで行けそうな事なので空港に行ってみる事に、スーレーパゴダ近くのバス停から37番で行けるらしい、400チャット、30円程、一時間くらいで運転手に言われて下車、グーグルマップを確認しながら空港へ。
 到着階に行くとMPT(公営らしい)があったので話を聞く、10000チャットのやつに決める、モバイルルーターを出すと携帯がないとダメだと言う、生憎スマホはシムフリーじゃないし、タイで使っていたスマホもタブレットも持って来なかった、大概売り場でアクティベートしてくれていたので自分ではした事がない、アクティベート用の携帯ぐらい用意しとけよ!モバイルルーターってお客は珍しいのか?
 ちょっと離れた所にOoredooなんていうのがあったのでそちらに行く、同じようなプランなんだけどちょっと高い、でもさっさと手際も良くルーターの設定までアッと言う間に終了、国営ってのはどこもダメだね。

2017年12月30日土曜日

メソッド ⇒ ミヤワディ ⇒ ヤンゴン

 朝6時過ぎミャンマー国境へ向かう、この国境はついこの間通過しているのでスムースに通過、橋の袂にあるミニバンを運行している会社(?)へ、写真の車に冷蔵庫やら自転車やらを満載、ヤンゴンまで18000チャット、9時発と言うので向かいにあるお店で朝食、薄味の付いたご飯に 卵焼き、辛い小魚の佃煮風とスープが付いて500チャット。
 9時出発、11時に写真のような所で昼食、ヤンゴン到着は6時と言っていたが到底無理、7時過ぎにまだまだヤンゴンにはって所で満載の貨物を下ろす。
 結局バスターミナルに到着したのは8時を大分回った頃、ターミナルから市内まで一時間程かかるだろうからと夕飯をターミナルで済ます、その後大通りへ出て、市内への車を探す、トラックの荷台に座席を取り付けた車が来たので乗り込む、時間は9時、ホテルにチェックインしたのが10時、やれやれ。

2017年12月29日金曜日

バンコク ⇒ メソッド

 メソットに行くため北バスターミナルへ、8時半に到着、メソット行きの窓口へ行くと丁度8時半のバスにまだ間に合うと言うので切符を購入、4時到着との事。
 バスに乗り込むと間もなく出発するがターミナルを出た所で停車、そのまま動かない、乗客も大人しく座っている、1時間過ぎても走り出す気配なし、乗客も何も言わない所を見ると停車する事を知っているのか?
 訳も判らず停車する事1時間半以上、10時過ぎにやっと動きだす、一体何だったの?
 そんな事があったんでメソッド到着は6時過ぎ、まあ土地勘はあるので問題はない、明日はミャンマー入国。

2017年12月26日火曜日

バンコク到着

 コルカタからのフライトは定時にバンコクに到着、イミグレ・カスタムともにすんなり入国出来たのだけれど5時前でカオサン行きのバスも動いていない、まあ急ぐ事もないのでひと眠りする。
 ここバンコクには3日程留まらなければならないので、ミャンマーのビザを取りに行く、10時前に行ったのに59番、受付が終わったのが2時半、何でこんなに時間が掛かるんだろうね、ミャンマーのビザ受け取りには三段階あって、当日、翌日、翌々日で翌々日以外はそれぞれ手数料がかかる、私は手数料なしで1600バーツ。

2017年12月24日日曜日

コルカタ到着

 昨夕(23日18時)出発したバスは何カ所かで止まり、明け方コルカタ西側を流れる河の対岸に到着、屋根に満載した荷物を下ろし始める、止まっていれば安眠出来るのでウトウトする、気付けばバスはコルカタ市内を走っている、7時前にBabughat Bus Standに到着、時間も早いので歩いてホテルに向かう。
 明日のバンコクへのフライト(正確には26日0:05)までやる事はない、まだ行っていない所やらはあるのだけれど、もうインドはいい、行こうと思っていた南インドにも行かなかった、別に後悔はしていない、ブッダガヤやコルカタでは日本人観光客が減ったと多くの人から聞いた、日本人だけではないと思う、この国は観光旅行をするにはちょっと大変で少なくともジジイがバックパックする国ではない、あと一日でバンコクだと思うとホッとする、その昔よく数か月もいたもんだ、 クリスマスで白いボンボンが付いた赤い三角帽子を被ったインド人で混雑するチョーリンギ通りを歩きながら、多分もう二度と来る事はないだろうと思った。
*アライバルビザは止めた方がいい
 今回のインドはアライバルビザで入国したのだが出来るなら止めた方がいい、コルカタだけなのかも知れないが、出会った数人全てが後回しにされてえらく時間が掛かったと言っていた 、係り官も良く判っていないみたいだし。
 アッサムのチェックポイントでもこんなビザは見た事がないと確認に時間が掛かった、 出国時にはペラペラとパスポートをめくるだけで一向に出国スタンプが押されない、相当ペラペラしてからビザはどこだ?って言われてひっくり返りそうになった、こいつ本当にインドのイミグレ職員なのか?百科事典程のページがあるパスポートじゃあるまいし自国のビザが判らないの?入国時のスタンプも見付けられないの?目が悪いの?アルファベットが読めないの?そこに座っていればいいと言われただけなの?

2017年12月23日土曜日

ブッダガヤ ⇒ コルカタ

 3週間 (4日~23日)の修行が終わった
 最初は危ぶまれた3週間の修行、終わってみればどおって事のない3週間、ブッダガヤに来たくても来れない人もいるだろうに、修行後も修行前と何ら変わらず、全く修行甲斐のない奴だな。
 今夕のバスでコルカタへ移動する、コルカタ到着は明日早朝。
 夕方5時過ぎにバスターミナルへ、夕飯を食べてチケット売り場へ、程なくしてバスが入って来る、指定されたのは座席の上部に作られた一畳ほどのスペース、二段ベッドの上部と言うと分かり易いかな、列車のスリーパーより幅があるのでゆったりした感じがする、これならコルカタまでの十数時間は全く問題がない、と思ったのは出発するまでの数分間だけ、出発してみるとこれがとんでもない代物で、止まっていれば快適で熟睡出来るだろう、しかし、走りだすと道路の悪さが体全体で実感出来る、本当に体が浮く、そして左右に揺れるものだからどこかに掴まっていないとベットから放り出される、そんな道路が明け方近く、コルカタの近くまで続くので一睡も出来なかった、こんな事なので800ルピーもだしてスリーパーにするより330ルピーで座席にした方がいいと思う、まあバスのせいじゃないんだけどねぇ。
 遅れる列車、寝られないバス、さてどちらにすべきか、どちらも修行ですなぁ。

2017年12月4日月曜日

修行三昧?@ブッダガヤ

 昨日旅行社などをあたってみたらコルカタへのバスがある事が判った、何時来るかも判らない列車を待つより一晩我慢する方が良いとバスで行く事に決定、何社かあるようで出発時間も17:30~19:00、値段も500~800とある、どこも切符は発行せず夕方来いって言う、その中の一社に決めて今夕来るからと昨日約束した、所が今朝になって、ひょんな事からお寺にお世話になる事になった、コルカタへの移動もやだなぁと思っていたしビザもあとひと月ぐらいある事だし、移動しなくていいならそうしたい、やな事は先延ばしにすればやな事ではなくなるかも知れないしね。
 長居(出来るのか?)をすると決まればカレーばかりの毎日では堪らないので色々と買って来た、鍋にフライパン、それぞれたったの150ルピー、取り敢えずインスタント麺があるので、怪しげな物は除いて数種類買って来た、二つ程食べてみたが、十分食べられる、外米だけれどご飯はあるのでおかずをどうにかすれば快適に修行に励む事が出来る(大丈夫か??)
 そう言う事で日々インドで修行をして来たのにさらに修行を積む事にする、その間ブログの毎日更新はされないと思う、最長3週間、さてどうなる事やら。

 ある日の夕食にチベット雑炊なる物を頂く、野菜、肉、餃子の皮を四角に切ったような物を煮込んだ物、美味かった。
 真ん中の写真はスジャータ村のストゥパ、右はマハボディ寺院が庭にあったという、豪族(マハラジャ?)の屋敷、その辺のお寺よりいいと思うぞ。

 朝食にタイ寺から貰ってきた物(ナンと言うには厚く、チベット人が売っているチベッタン・ブレッドには薄い)で済ます。
 ドラえもんなんかに頼まなくても、どこでもトイレなインドで壁と屋根があれば「デラックス・トイレ」、内部は知らない。
 牛糞を丸め、壁に貼り付けて乾燥させ燃料にする、遠目には凝ったデザインの壁に見える。

2017年12月3日日曜日

ブッダガヤ4日目

 毎朝団扇太鼓の音が聞こえる、インド各地の日本山妙法寺にお世話になっていた時には、朝夕団扇太鼓をたたき「何妙法蓮華経」と唱えていた、団扇太鼓をたたき何処まで行っているのか判らないのだけれど、ホテルの前を往復する、「何妙法蓮華経」とは聞こえてこない、 それに仏教の聖地でありながら、毎日「アザーン」がよく聞こえるのは何とも 妙な気がする。
 まあそんなブッダガヤの朝は昨日の残りクラッカーで優雅な朝食、これからどうすればいいのか考えがまとまらない、もうインド国内の移動はしたくない、って言ってもコルカタへは行かなければならない、そしてコルカタへの列車は凄まじく遅れるらしい、コルカタで出会った人は15時間の遅れと言っていた、それがいつもの事らしいのだ、途中から乗る私は駅でいつ来るかも知れない列車を半日も待たなければならないのか?
 まあ、そんなやな事を考えるのは先送りにして外に出て行く。
 ここブッダガヤには各国のお寺があってお寺だらけ、適当に歩きまわって、昨日あと一歩というところで門を閉められてしまった大仏にも行ってきた。

 ちょっと郊外(?)に出ると、子供たちが「ハロー・ハロー」と寄って来る、とても人懐っこい。

 昨日と違って今日の昼飯は自前、今回のインドで初めてのチャパティー。

 今回、ネパールに行く予定だったので、昔ネパールで買った写真の仏像を持ってきた、トップの輪が取れてしまったのでネパールでして貰おうと思ってだ、ネパールへ行かなくなってしまったけど、ここブッダガヤで治してもらう事にした、 川岸の市場にそんな店があるだろうと行ってみる、兄ちゃん気安く引き受けてくれて、アッという間に修理完了、サービスのつもりか洗浄して磨いちまうもんだからピカピカに、折角半世紀のわびさびがパー、何て事してくれるんだ、よく見ると輪っか90度程傾いてるみたいだし、ま、インド・クオリティーって事か。
 晩飯は市場から帰って来る時に見付けたコルカタにもあった、インド版フレンチトースト、コルカタと全く同じ、二つ食べたら100ルピーだと言う、コルカタ30ルピーだったぞ。

2017年12月2日土曜日

ブッダガヤ3日目

 朝は昨日買っておいた写真のクラッカーとダージリンの紅茶、何か優雅そうだけどそうでもない、写真のクラッカーは旨いから買えって宣伝してる訳じゃない、たまたま買っただけ、20ルピー。
 まあそんな優雅な朝食を摂っていると外が騒がしい、ベランダに出てみると、何かのパレード、そう今日から10日間程イベント(13th International Tipitaka Chanting Ceremony)がある。
 この写真のイベントでどういう事をするのかはよく判らないのだけれど、それでアジア各国のお坊さんや人達が沢山いるんだな。
 大概お揃いのシャツやら着ているので何でかなとは思っていたのだけれど。
 それで13回目となる今回の主催はタイ国らしい、で、昨日はタイのお寺でお茶などが振舞われていたって事かな?
 で、今日もただ茶、いやいやいやそうじゃなくてどんな事をするのかな?とパレードに付いて行った、各国の参加者が入って行く会場入り口まで来たのだけれど、皆参加証というか登録カードを下げている、まあ確認などしていないようなので潜り込んでみた、中は特に変わってるわけでもなく各国から集まってのミーティングって感じ、司会も英語とタイ語でやっている。
 中をうろうろしていたらテントの一角で炊き出しをしている、タイ国主催だからか、センレック・ナームに野菜の煮物、焼き飯などある、みていたらどうぞって言われたので有難く頂く、焼き飯パックもお土産にくれた。
 中々始まりそうにないので会場を後にして日本寺に向かう、途中にブータン寺があったので入ってみる、ブータンのお寺は初めてだと思うが、タイやインドの寺院などをみてきているのでそう変わっているとは思わない、そして日本寺、地味ですよねぇ、インド人家族が一組いただけで閑散としていた。
 そして、大仏を見に行ったのだが、目の前で扉が閉められてしまった、時計を見ると12時、ここでは神様も仏様も2時まで休憩という事らしい、今までこんな事ってあったかな?
 ま、そう言う事なのでホテルに帰る事にする、途中にあるタイ寺に寄ってポピアとお茶を飲んで帰ったのは言うまでもない。

2017年12月1日金曜日

ブッダガヤ2日目

 朝早く起きたのだがやる事はない、ネットが調子よく繋がるので、PC内のGPSのデータとかを整理したりする。 
 9時過ぎ朝食がてら外へ、ホテル前の路上で朝食40ルピー。
 近くに昔見たのか見ていないのかも判らない大菩提寺があって大きな仏塔がある、参拝料はないがカメラの持ち込みにお金がかかる、100ルピーと表示があるので100ルピー札を出すと、200ルピー払えと言う、じゃ入らないから100ルピーを返せって言ったら、あと20ルピーと言う、何だその20ルピーは?って訊いたらチップだと抜かす、やっぱり入らないから100ルピー返せってちょっと大きな声で言ったらしぶしぶチケットをだしやがる、こんな所誰が世界遺産にしたんだ、それともそんなのを含めての世界遺産か?
 まあそんな事もあって有難いのかどうか知らないけど、とっても世界遺産だとは思えない仏塔だな。

 そんな仏塔は早々と出て適当にを歩く、 排気ガスと糞塵(変換ミスではありません)のせいか、街を歩くと鼻水が出る、喉もいがらっぽい、インド早く出ないと早死にしちゃうね(笑い事ではありません)
 水のない川岸に出るとハヌマーン廟があった、今回初めて見たな。
 しかしインド、何処に行ってもゴミだらけだねぇ。
 帰りにタイのお寺があったので入ってみる、何かイベントがあるらしくタイ人一杯、お茶とロティを振舞われて、お寺も参拝せずに帰る、バチ当たりめが。

2017年11月30日木曜日

ラジギール ⇒ ブッダガヤ

 昨日夕方遅くまで待ってみたのだが、日本人上人はパトナから戻られないようなので、諦めてホテルへ戻った。
 今朝不在ならここを出るつもりだ、ホテルを出てお寺に向かう途中のチャイ屋でチャイとガラス瓶に入ったビスケットのような物で朝食、おりこうさんな顔をした野良牛が来てジャマ、チャイ屋のジジイが出て来て牛に何か言ってる、牛も言ってる事が判っているようだ、ジジイの飼牛かな。
 日本寺では日本人上人と会え、そこにいたインド人僧が私をコルカタの日本寺で見たと言う、彼がこれからストゥーパに行くので一緒に行ったらどうだとの日本人上人からの提案、何時に帰って来るのか判らないのでホテルはチェックアウトして荷物をお寺に預ける。
 ロープウェイ乗り場まで日本人上人に送られてロープウェイで山頂へ、昔は歩いて登っていたんだろうけど、全く記憶にない、あの頃はガンジャ・ガンジャの毎日だったからなぁ。
 山頂に着いて露店が並ぶ坂道の先にストゥーパが、同行のインド人僧(写真)に50年前ここで建設に携わったと言ったら、非常に驚いて当時の事を色々と訊かれた。
 その後、訪れていたブータンの一行に私が話し掛けられたんだけど、インド人僧が私の事を50年前にこの仏塔を建てたのはこの人だとか言ったんじゃないだろうか、何人もの人と記念写真と握手を求められた。
 今まで昔の数年間は 無駄な日々だったとちょっと後悔(そんなに大袈裟ではなく)していたんだ、でも今日そうでもなかったなと思えた、インド人僧が大袈裟な事を言ったに違いない程、私はこのストゥーパの建設に携わってはいないはず、でもレンガの一つくらいは積んでいる、それが半世紀経った今、インド人だけでなく各国の人達が訪れる場となっている、これからどのくらい続くのか、そして気にする人もいないだろうけど、間違いなくどこかのレンガの一つは私が積んだのだ。
 帰りの馬車の中からあれから49年、もう来る事もないだろうストゥーパを見上げて、来てよかったと思った。
 日本寺へ戻ると明日から始まる断食にちょっと惹かれたが、ジジイの身に過酷な一週間は無謀だろうと、ブッダガヤへ行く事にする。
 ここからバスでガヤのターミナル、そこから三輪車でブッダガヤへ、途中の道路わきはゴミの山、この国のここ50年間の指導者にはこのゴミが目に入らなかったのだろうか?
 ブッダガヤに到着したものの、ここも全く記憶にない、適当なホテルにチェックイン。