2017年11月30日木曜日

ラジギール ⇒ ブッダガヤ

 昨日夕方遅くまで待ってみたのだが、日本人上人はパトナから戻られないようなので、諦めてホテルへ戻った。
 今朝不在ならここを出るつもりだ、ホテルを出てお寺に向かう途中のチャイ屋でチャイとガラス瓶に入ったビスケットのような物で朝食、おりこうさんな顔をした野良牛が来てジャマ、チャイ屋のジジイが出て来て牛に何か言ってる、牛も言ってる事が判っているようだ、ジジイの飼牛かな。
 日本寺では日本人上人と会え、そこにいたインド人僧が私をコルカタの日本寺で見たと言う、彼がこれからストゥーパに行くので一緒に行ったらどうだとの日本人上人からの提案、何時に帰って来るのか判らないのでホテルはチェックアウトして荷物をお寺に預ける。
 ロープウェイ乗り場まで日本人上人に送られてロープウェイで山頂へ、昔は歩いて登っていたんだろうけど、全く記憶にない、あの頃はガンジャ・ガンジャの毎日だったからなぁ。
 山頂に着いて露店が並ぶ坂道の先にストゥーパが、同行のインド人僧(写真)に50年前ここで建設に携わったと言ったら、非常に驚いて当時の事を色々と訊かれた。
 その後、訪れていたブータンの一行に私が話し掛けられたんだけど、インド人僧が私の事を50年前にこの仏塔を建てたのはこの人だとか言ったんじゃないだろうか、何人もの人と記念写真と握手を求められた。
 今まで昔の数年間は 無駄な日々だったとちょっと後悔(そんなに大袈裟ではなく)していたんだ、でも今日そうでもなかったなと思えた、インド人僧が大袈裟な事を言ったに違いない程、私はこのストゥーパの建設に携わってはいないはず、でもレンガの一つくらいは積んでいる、それが半世紀経った今、インド人だけでなく各国の人達が訪れる場となっている、これからどのくらい続くのか、そして気にする人もいないだろうけど、間違いなくどこかのレンガの一つは私が積んだのだ。
 帰りの馬車の中からあれから49年、もう来る事もないだろうストゥーパを見上げて、来てよかったと思った。
 日本寺へ戻ると明日から始まる断食にちょっと惹かれたが、ジジイの身に過酷な一週間は無謀だろうと、ブッダガヤへ行く事にする。
 ここからバスでガヤのターミナル、そこから三輪車でブッダガヤへ、途中の道路わきはゴミの山、この国のここ50年間の指導者にはこのゴミが目に入らなかったのだろうか?
 ブッダガヤに到着したものの、ここも全く記憶にない、適当なホテルにチェックイン。

2017年11月29日水曜日

ガヤ ⇒ ラジギール

 4時間半遅れで出発した列車、定刻では5:19ガヤ到着、って事は10時頃には到着するのかな?
 昨日地図を見たら、ラジギールへ行くならガヤだと思っていたのだが、その前にある駅の方が近い事が判った、だから起きていてその駅に止まったら降りようと思っていた、ところが列車は遅れるしオフラインでのグーグルマップは真っ白(時々そうなってしまう)で、何処を走っているのかもわからない。
 そのうち沢山の人が降りる準備を始めたので訊いてみるとガヤだという、寝ている間に降りようと思った駅は過ぎてしまったようだ。
 しかし、今9:20だぞ、もしこの列車が定刻に発車していたら、定刻前に到着出来たかも。
 さて、ガヤには着いたんだが、ラジギールにはどうやって行くんだ?早速集まって来た、オートリキシャの運ちゃん達の口々に勝手にしゃべる何語だか訳の分らないのを要約するとバスターミナルからラジギール方面へのバスがあるらしい、バスターミナルは遠いのでオートリキシャで行けと言っている、遠いってのが怪しい、100まで値切ってバスターミナルへ、オンボロバスでラジギールまで50ルピー、早速日本寺へ、ここもコルカタ同様日本人上人はパトナに出掛けていて不在、仕方がないのでホテルへ。
71年、上段向かって左端が私、右端が故鈴木紀夫氏 ここラジギールには昔ストゥーパの建設中に来た事があって、ちょっとお手伝いをした、完成は69年だったと思う、式典があったと聞いたがそれには参加していない、確か71年に再訪していて写真などもあるのだが、他の事では記憶があるのだが、日本寺やストゥーパの事などは全く覚えていない。
 今回再訪して驚いたのは、あんな寒村だったのが観光地となっていた事だ、
 ラジギールの事はほとんど覚えていない、全く何もないような寒村だった、だから今回が初めての訪問の様な気もする、歩いていると日本寺への標識があった、タイ文字もあったのでタイのお寺もあるんだなと、通り過ぎて?と思い戻って良く見ると、日本式のお寺とタイ文字で書いてあるではないか、タイ人も沢山訪れるんだな。

2017年11月28日火曜日

コルカタ ⇒ ガヤ

 今日の夜行(22時発)でラジギールへ向かう、列車でガヤまで行き、その後はバスになるのか? 全く覚えていない。
 チェックアウトを夕方まで延ばしてもらっているのでギリギリまでホテルには居られる、部屋にいても面白くないので外へ。
 昨日と同じように当てずっぽうに歩く、途中写真のオヤジがパンを焼いている、見ていると、トーストに目玉焼きとか作っている、毎日のようにカレーばかりなので、フレンチトーストみたいなものを注文してみる、シングルかダブルかと問われ、何だかわからないままダブルと答える、どうも卵の事らしい、溶き卵に玉ねぎのみじん切り、唐辛子を入れる、それをパンにまぶして焼いて出来上がり、30ルピー、向かいのチャイ屋のチャイ10ルピー計40ルピーで昼飯。
 夜、混雑を予想して早めにホテルを出る、9時15分前にはハウラー駅に到着、到着した途端にショック、何と2時間半遅れの00:30発だと!!
 いやぁ、修行の毎日で有難いですな、珍しく隣に座っていたオヤジが話掛けてくる、色々と質問などあって、コルカタはどうだ?と来た、私がインド人なら外国人にこんな質問は絶対にしない、現状判ってるし答える方だって困るだろうと思うから。
 中々いい街ですねなんて嘘でも言えない、昨日着いたばかりなのでって言っておいたけど、インドへ行った事のある君なら何と答える?
 と、まあそんな困った質問のオヤジなんだけど、同じ列車だと判って心強いオヤジに変身、これで色々注意していなくても列車に乗れる、オヤジ頼むよ!
 結局列車がホームに入ったのが1:30、出発2:30、4時間半の遅れ。

2017年11月26日日曜日

コルカタ

 なんかやる気もなくコルカタにいるんだけれど、ラジギールに行く手配はした、ラジギールで心境の変化でもあればと期待している。
 外でも歩いてみるかとホテルを出る、行くあてなどないので適当に歩く、昔よりましにはなっているとはいっても大差なく酷い、ロケットを打ち上げたり、原潜を作っているというのが信じられない、環境なり国民に金を使えないのか?
 大通りを歩いても面白くないので裏通りのような所を適当に歩く、昔のインドと全く変わらない汚さ、流石に写真は撮る事が出来なかった。
 路面電車が走っていたり、三輪車の修理屋や部品を扱う店が並ぶ通り、インドお前もかという電線、時々こんなオヤジの入れるチャイを飲みながらウロウロしてホテルへ帰る。

2017年11月25日土曜日

日本山妙法寺

 何度も書いているけど、インドにウンザリしている。
 何にウンザリしているのか自分でも判らない、昔と違ってインド人は全くと言っていいくらい無害になったと書いた、そう、駅にいてもバスターミナルにいても、物珍しそうに 集まっても来ない、だからインド人にウンザリしてるって訳じゃない、町中車両で溢れかえっていたりするのは牛車や荷車が自動車に替わっただけで、昔より余程ましになっていると思う、街中に溢れるゴミ、これも昔と変わらないんだがタチが悪くなったと思う、昔、路上の屋台では皿はバナナの葉や木の葉を加工したものだった、チャイは素焼きの器だったし、それらを捨てると野良犬や牛が食べていた、今のビニールではどうにもならない、コルカタでは牛も見ていない。
 そんな何にウンザリしているんだかわからないインドのコルカタにいて、どこに行くでもなく部屋に籠っているのもと思い、まだ行った事のない「日本山妙法寺」に行ってみる事にする。
 地図を見ると数キロ西に地下鉄が走っている、時間は有り余る程だから、最寄駅から歩いてみる事に。
 駅外に出ると昔と同じ路上生活の家族(?)が多数、そんな通りを通り、途中チャイなど飲んで日本寺に到着。
 日本人上人は不在との事、折角来たのだからとお茶など出され、ちょっと名前が聞き取れなかった日本人上人とラインで繋げて話をさせてもらえた。
 昔、お世話になった事を告げると、その頃の上人や知人の名前が出てきた。
そうだ、ラジギールに行こう!

2017年11月24日金曜日

コルカタ

 コルカタのEsplanade Bus Terminusに到着したのは6時を過ぎた頃、サダルストリートまでブラブラと歩いて行く、昔と違い路上で寝ている人は少ない、屋台の店主か番人なのか、商品やら折りたたんだテーブルやらの上に小さな一人用の蚊帳で寝ているのも昔と変わりない。
 
 サダルストリートに到着したものの、こんな時間ではホテルの入り口に使用人だかが寝ているだけで相手にもしてくれないので、そこらに座ってチャイを飲む、しばらくすると西洋人がやって来て、チャイを頼むと隣に座る、置いてあるバックパックを見て、近くのホテルの説明をしてくれる、客引きのおっちゃんより信頼出来る、8時ごろ行って見なと言って立ち去った、このあたりで長逗留してるんだな。
 どこへ行っても満室と言われちょっと困ったんだが、どうにか部屋確保。
 今後どうするか?バスの中でも考えたのだけれど未だ決まらない。

2017年11月23日木曜日

シリグリ ⇒ コルカタ

 今日乗るコルカタ行きのバスは7時発、ホテルのチェックアウトを遅らせられるか訊いてみた、4時なら半額、それ以後は全額との答え、 それをどうにか5時に延ばしてもらう、バスの発着場所が駅の前なので駅にいても良いのだが7時間もいるのはごめんなので半額払う事にする。
 チェックアウトをしてもあと2時間もあるのだが、バス会社の待合室で待つ。
 晩飯は小汚い店のこんなオヤジの作るチャーハン。
 7時10分程前になってバスが入って来る、乗り込んでみると、やはり想像通り昨日みた写真と違う、まあリクライニングではあったが、出発してみると、これがまた大変、運転は荒っぽいし道路は穴ぼこだらけらしい、これはもうどんなバスでも同じ、安いのにしとけば良かったと思う、時間はかかっても列車の方が断然よかったと後悔。

2017年11月22日水曜日

ダージリン ⇒ シリグリ

 もう少しダージリンに留まろうかと思ったのだが、朝起きると喉が痛い、昨日排気ガスの中をウロウロしていたからに違いない。
 谷だとか近い向こうの丘だかがボーっとしているのは気象の関係ではないと思う、黒い排気ガスをまき散らしている車も多い、高度が高いって事だけではないと思う。
 そんななんで今日はシリグリへ戻る事にする。
 ホテルを清算して外へ出ると、丁度ランドローバーの様な車が来る、早速乗り込むが、まだお客が足りないので「シリグリ・シリグリ」と連呼しながら町を周る。
 お客も揃い9:30シリグリへ向かう。
 12時頃駅の近くまで来た所で1人のお客を下ろす、丁度向かいにホテルの看板が見えたので降車、WiFiが使えるか訊いたところOKとの事、チェックイン。
 荷物を置くと外へ、昼食を食べてシリグリ駅へ向かう、周辺には様々なバス会社があって「コルカタ」行きは夜行のみらしい、出発は16:30~19:00頃まであって400~1,000ルピーまであった、ディマプールからの列車で散々な思いをしたので、ここは奮発して1,000ルピーを予約、19:00発7:00着の12時間、写真を見るとかなりのリクライニング・シートなんだけど、誇張してないだろうな?
 本来ならここからネパールへ入ろうと思っていた、そしてカトマンズで部屋を借りた4人で半世紀ぶりの再会ってな事も考えていたんだけど、それが叶わなくなってしまった今、ネパールへ入る必要もなくなってしまった、何年か前に行ったカトマンズも排気ガスで酷かったし、トレッキングなんて事もしないだろうから、ネパールを止めて、まだ行った事のない南インドに行ってみるかと思っている.。

2017年11月21日火曜日

ダージリン3日目

 昨日はホテルを代わっただけで食事以外ホテルでゴロゴロしていた、列車の旅で参っていたからね、ジジイはあんな無謀な事はしちゃいけないんだが仕方がなかった。
 何だかんだ2週間程インドにいるんだが、何だかウンザリしてきた、インド人は昔と違って無害になったし(今のところ)、旅をするのも別に支障はないんだが。
 ここダージリンに来たのは別に何の目的もない、ただ昔の思い出があって、のんびりとして景色もいいし、食事もカレーじゃないのがいいってだけで来たのだ、しかし来なければ良かったって後悔した、車が溢れ排気ガスとけたたましいホーン、天候の加減だろうけど景色もボーっとしている、思い出のダージリンではない、この先ガントクやカリンポンに行こうと思っていたのだが、やめにする事にした。
 記録を見ると71年10月に来ている、今ではどこにあったのか定かではないチベット人の難民キャンプに行っている、その時の写真だ、半世紀近い前の彼らは今何処で何をしているのだろうか?元気でいて欲しいと思う。
 まあ、ガッカリしたダージリンではあるが、適当に歩き回ってみた、昔はこんなに人が溢れかえっていたはずはない。
 ダージリンと言えばトイ・トレインと、まずは駅へ行って見る、数台の蒸気機関車があって整備やら石炭の積み込みなど作業をしている。
 近くに寺院があったので入る。

 インド人の訪日ビザ緩和と言うニュースを読んだ、緩和は結構だが入国に3時間はかけて欲しい

2017年11月20日月曜日

ダージリン2日目

 夕べは9時前に寝たのに起きたのは6時、その間一度も目が覚めなかった、余程疲れていたのだろう。
 起きたのはいいが停電でネットが使えない、窓の外はこんな小汚い風景、税金を含めて1100ルピーも払ったのにだ、昔(半世紀前)のインドと比べて今のインドにお得感はない、いつもついこの間まで住んだタイと比べてしまうのだが、あらゆる物や事でタイより劣る様に思う、確かに道端で食べる物はタイより安い、しかし清潔感が全くない、お店で食べると同じくらいか高い、街の清潔度ならタイとは比べ物にならないくらい酷い、場所にも依るとは思うが、ホテルはタイの方が清潔だと思う、昔のインドは安かったから多少汚くとも我慢が出来た、半世紀経った今もゴミは昔と変わらない、街はカラフルになって道行く人も小綺麗な恰好になった、カルカッタ(コルカタ)では野良牛やあの群れをなしているような乞食や人力車は見なかった。
 大体あのサダルストリートに外人(西洋人)が見当たらなかった、物乞いは皆無、客引きも一人二人しか来なかった、タイのカオサンとは大違いだ、何処かにそんな所が出来たのだろうか?
 そういえばここダージリンでさえ外人(西洋人)
を数人しか見ていない、ゴミと異臭、大して安くない物価でインドの魅力がなくなってしまったのかも。
 窓から小汚い風景しか見えないこのホテル、7時になっても8時になっても停電は復旧しない、9時前になったら、枕元の窓の外でけたたましいエンジンの始動音、と同時に部屋の灯りが灯った、何だ自家発電持ってるんじゃん、停電と同時に始動させろよと思ったが、夜中だったら寝ていられなかっただろうから良しとするか。
 夜中に始動させられたらとっても寝ていられないこんな部屋に長居は無用、朝飯がてら他のホテルを探す事に、すぐ近くでネットも使えて500ルピーの部屋発見、早速そちらに引っ越し、内装は落ちるがこれで十分。
 移ってきたはいいがマネージャーがどこかの会議に行っていてWiFiのパスワードが判らないとの事、1時間程で戻るから待ってくれと言う結局3時間近く待たされる。
 5時頃にはネットがダメになる、これはホテルのせいじゃないんだけど。
 いやぁ、インドは昔も今も修行の国ですな。
 そう言えばインドの駅にはFree WiFiがある、多分空港なんかにもあるんだろうと思う、で、全国の空港・駅等公共の場に設置(かどうかは知らないが)というと凄く聞こえはいい、GJと誰でも思うだろう、ところがこれほぼインドに暮らすインド人の為、アクセスするとSMSを送るから携帯番号を入力せいって出る、頭の国番号がインドに固定されていてインドの携帯番号を持たない者には使わせない、って事は外国人旅行者の為じゃないんだな。
 どこの空港かは忘れたが、パスワードをメールアドレスに送るからってのもあったし、チェックインして出国ゲートを通り過ぎた後のFree WiFiでパスワードは空港のインフォメーションでというのもあった、誰が考えたんだかどうやればいいのか教えてもらいたいものだ。
 晩飯ついでに本場の紅茶を買って来た、こんな物も持っているんだが、ホテルの兄ちゃんにお湯をもらって飲んでいる、紅茶なんか飲む習慣がないものだから美味いんだか不味いんだか判らない、まあ美味いとも思わないし安ものだから美味くない部類だと思う。

2017年11月19日日曜日

シリグリ ⇒ ダージリン

 昔を再現した列車旅、朝になって明るくなった車内、昔に比べると荷物が少なくなった、そこらで転がって寝ている人達の服装も良くなった、しかし小汚い。
 こんな車両だから車内販売の弁当なんて来ない、駅に止まると無理やり人を掻き分けて物売りが乗り込んで来る、そんな物売りの豆を買った、10ルピー、バケツに入ったそれをお玉で葉っぱで作った(?)皿にぶちまけるように盛る、大して美味くはないが腹の足しにはなる。
 因みに車内の写真、流石に混雑中の写真は撮れなかった。
 シリグリの駅(New Jalpaiguri Jn)の手前で40分も止まったこの列車が駅に着いたのは12時ちょっと過ぎた頃だった。
 ディマプールの駅で待つこと7時間、車中17時間の移動、そしてこれからどうするのか?

 
 New Jalpaiguri Jnの駅前に出ると早速タクシーの運ちゃんが寄って来たので、ここからダージリンまでのトイ・トレインの事を訊いてみる、明日の朝との事、ここに泊まって明日何時間も掛けて玩具のような列車に乗りダージリンまで行く程乗りたいとは思わないので、Siliguri Jn駅前から乗り合いで行く事にする。
 こんな車でダージリンまで150ルピー、ナンバーの下に唐辛子と柑橘系の実で何かのおまじないなのかが釣る下げてあった。
 ダージリンに到着して近くのホテルを何軒かチェックしWiFiが使えると言うホテルにチェックイン。

 ネットをチェックして晩飯に「モモ」、疲れ切っていたので9時前には寝てしまった。
 自前のSIMを買ったのに、何で
WiFiが使えるホテルを探したのか、って事だけど、使用出来なくなった、ネットで以前読んだ記憶があるんだけど、そこには州を跨ぐとダメって書いてあったように思う、 そんなSIMを買ってしまったようだ。

2017年11月18日土曜日

ディマプール ⇒ 車中泊

 とうとう恐れていた事が起きてしまった、昔の旅を再現しようと思った今回のバックパック、これだけは避けようと思っていたのに。
 昨日手に入れたシリグリまでのキップ、ウエイティング・リストと言ったのはその通りだったのだ、窓口では根掘り葉掘りコミュニケーションの問題もあって訊けなかったんだけど、ホームにいた案内みたいな人に色々と訊いたのだけれど、やはりコミュニケーションの問題で納得する事は出来なかった。
 それで今日、ホテルを昼にチェックアウトして駅へ、案内窓口へ行って切符を出して、今日乗って行けるのか訊いてみた、何やらPCを操作して切符に何やら書き込んで面倒くさそうに放り投げて返してくれる、ホームのベンチに座り16時10分発という列車を待つ、1時間程前になって2時間の遅延が電光掲示板に、結局3時間程遅れて列車はホームに。
 どの車両に乗ったらいいのかも判らないので適当に乗り込んで車掌に訊こうと思ったんだがこれがまた大変、人と荷物で大混乱、そんな混乱が落ち着くのを待って、後ろにいるという車掌を探しに人と荷物をかき分けながら後ろへ。
 検札をしていた英語の堪能な若い車掌に訊いておおよその事が判明、この切符はやはりキャンセル待ちの切符、この列車にはそれがなく席は取れない、しかしシリグリまで行くのはOK、 払ったお金は最低料金(自由席)のシニア割引らしい、車両はS11との事、そしてその車両に行って愕然、その昔、無賃乗車を繰り返していた車両と同じように床に網棚に人が寝ている、すき間なんてない、こうなったら仕方がない、僅かばかりのお金(230ルピー)だが、それを払って 昔の再現をするしかない。
 こうして3時間遅れの列車に乗ったのだが、流石に今では人々の間に無理やり横になる勇気はない、どうにか乗車口付近に座れる場所を作って無理やり座る、汗の匂いやらが気になる、到着時間を訊いていない、何時間この状態なのだろうか?
 乗車口付近なので駅に止まる度に人の出入りがあって、その度に起こされるので寝られない。

2017年11月17日金曜日

コヒマ ⇒ ディマプール

 今日はここから80Km程離れたディマプールという街へ移動する事に、その街には駅があって、シリグリまで鉄道を利用しようと考えているのだ、ホテルを出てちょっと歩くとN・S・T(ナガランド・ステート・トランスポート)がある、近くの街なので頻繁(?)に出ているだろうと時間は訊いていない。
 残念な事にちょっと前に出発してしまって次のバスを待つ事に。
 一時間程待ってチケット購入、チケットをよく見ると「SEMI DELUXE」とある、上の写真のバスだ、インド基準だとそうなるらしい、雨がシトシト降って、舗装されていないターミナルはぐちゃぐちゃ。
 周りの山々が濃い霧で全く見えないコヒマを出発したのはターミナルに来てから2時間も経った10時。
 街中でさえぐちゃぐちゃなので山道は酷い、そんな中をバスは左右に酷く傾きながらノロノロと走る、バスの性能云々ではなく道が酷いのだ、昼飯休憩の後は酷い霧、元々ノロノロ運転なので霧だからと言ってスピードが落ちる事もない。


 そんなバスに揺られて4時間半、ようやく到着しました、N・S・Tのバスターミナル、鉄道駅の真ん前。


 もしかしたらシリグリへの列車に乗れるかも知れないとすぐに駅へ。
 残念ながら今日のはもうダメとの事、ホテルにチェックインして、改めて切符を買いに。
 ここで色々あって購入できたのはこの切符、切符買うのも大変なのよ、ウエイティング・リストって言ってたけど、何か違うらしい、キャンセル待ちでもないと言う、じゃ乗れるの?って訊くと乗れるって言う、どの車両でどの席とも書いてない、何なのこの切符??  窓口は混んでいるし売ってるやつは面倒くさそうな顔してるんで窓口を離れる、230ルピーと異常に安いし、明日判明するだろう、果たしてどうなる事やら。
 どっと疲れが出て駅前でこの兄ちゃんが売ってたモモを立ち食い、50ルピー。