2018年1月21日日曜日

強制送還(泣

 とうとう本日がやって来ました、本日(正確には22日午前0時30分)夜行便で本国送還です、まさかこんな結末を迎えるとは思わなかった「爺パッカーリターンズ」 、最初はそれなりに過ごしていたのに、段々慣れて来ると昔の様に、夜行ならホテル代が浮くなどと無理をする様になり、疲労が回復される前に移動、そんな事の繰り返しが疲労の蓄積となって今回のこの結果ではないのか?昔の様に一晩寝れば元気になってなんて事は全くないので一日動いたら二日休憩ぐらいで丁度良いのかも。
 まあやり方は色々と思い出したので問題はない、もっともっとゆったりとやればまだまだ出来そう、本来ならマンダレーから徐々に南下、ヤンゴン・モーラミンを経てミャンマーの南端(コータウン)からタイ(ラノン)へ、タイを北上してチェンライ、そこからラオスに入ってベトナム北部へ、ベトナムを縦断してホーチミンへ、カンボジアはビザが必要なのでパスしてベトナムからラオス南部に入国し、パクセーからタイのウボンへ、その頃は日本も暖かくなっているので帰国って大雑把な計画だった、ま、不本意な結果ではあるもののそう残念でもない、元気になれば続きは出来る。
 日本寒いんだろうなぁ。
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 22日早朝無事帰国、数十年ぶりの大雪予報だったが交通機関が混乱する前に帰宅、ミャンマーでは全く歩行不能、タイ出国時にはどうにか自力で立ち上がる事が出来るようになるまで回復、しかし自力での歩行が出来ないため車椅子帰国、今後バックパック旅があるのか?ないのか?次回までこのブログは休止し通常のブログへ戻ります。

2018年1月17日水曜日

モンユア ⇒ マンダレー ⇒ バンコク

 12日朝モンユアに到着、翌日から右膝の激痛で一歩も歩けなくなり、5日間ホテルのベッドで動けず、どうにか航空券等を手配し、軽トラの荷台に寝かされてマンダレーの空港まで送ってもらう、その後航空会社職員などの補助でどうにかバンコクに到着。
 写真左がその時のもの、ここまで来れば、多少言葉も通じるので安心、って言っても自力では歩けないんだけど、まあ命に係わる事はないんでどうにかなるでしょ。
 モンユアのホテルでは二人がかりで抱えられて4階から降ろされ食堂へ、トーストもないのにバターとジャムが付いてるのを見て苦笑、朝食にこれら抜きはミャンマーでは考えられないのか(笑)
 8時半、迎えの軽トラの荷台へ、それなりにゴザや絨毯で寝られる様に用意されている、まあこんな事は初体験、空港に到着し、エアーアジアの職員だか空港職員だかに車椅子を押されてチェックイン・保安検査・イミグレと通過したんだけど待遇いいねぇ!一人として待つ事もなく通過しアッと言うまに搭乗ゲートへ、ここから先はエアーアジアの職員が補助してくれるとの事で兄ちゃんフェードアウト。
 搭乗も最優先、バンコクに到着し、乗客が全員降りてから、最前列の座席だったので、クルーの交代やらをみながら一人車椅子を待つ、マンダレーからここまで操縦して来たパイロットが我々は行くね、今後は新しいクルーが面倒見てくれるからと言って降りて行った、程なく車椅子も到着して、やはり最優先で入国、イミグレでは先に降りて行ったクルーを追い越してしまうぐらい早い、C国だかの人でごった返すイミグレを横目で見ながら入出国は車椅子に限る(笑)

2018年1月16日火曜日

歩行不能

 13日~16日@モンユア
 朝、右膝の痛みで目が覚める、動かさなければ痛くはないのだけれど、一寸動かすとかなり痛い、写真のホテルの4階、それでもどうにか朝食の為に階下によろよろと降りていった、それを見たホテルスタッフが朝食は部屋に運んでくれるような仕草(英語が通じない)だったので部屋に戻る。
 程なく朝食は部屋に運ばれたのだが、膝の激痛で歩行不能に、どうにかベッドや壁を支えに左足で立ち上がる事は出来ても、右膝の激痛で立ち続ける事は出来ない、ベッドの端から1mも離れていないようなトイレに行くのに、冷や汗タラタラで30分程もかかる、そして困ったのがフロントへの連絡、部屋に電話はない、ここのネットの繋がりも良くないしホームページやらも持っていなさそう、自前のルーターも残金不足で使用不能、タイの携帯を使って(ローミング)フロントへ連絡、とりあえず自前のルーターシムへチャージするためカードの購入を頼む、ネットも電話も使えるようになってどうにか餓死だけは回避(笑)出来そう。
 しかし、ここでの動けない4日間は大変だった、初日は色々とパニクッたんだけど、外部との連絡、ここのWiFiにほとんど繋がらない(ルーターから離れている)のでネットが使えない、タイの携帯を使う事で窮地は脱出出来たんだけど、もしタイの携帯がなければ日本のスマホでローミングって事になっていたんだろうと思う。
 もしそれらを持っていなかったら、それこそ大変だったんだろうと思う、5泊したんだけど一回だってシーツ・タオルも取り換えなければ、掃除にも来なかった、フロントに電話をしなければ、気を利かせて朝食を運んでくれる事もなかった、そして必ず一回では用は済まなかった、朝食は決まっていて、トースト3枚、フライドポテト、卵料理(スクランブルとか目玉焼き)、果物盛り合わせ、オレンジジュース、インスタントの飲み物(コーヒー・紅茶・グリーンティ)、最初の朝食であまりにも油の匂いが鼻につくのでフライドポテト・卵はいらないって言ったのに全部持って来た、さて、コーヒーでも飲もうという時になってポットが空なのが判明!、次の日はポットもカップも持って来ない、その次はカップはあったがポットは忘れた!
 その後、トースト・卵・フライドポテトは持って来なくなった(毎回要らないって電話で言った)んだけど、胡椒・塩・バター・ジャムは必ず付いた(これは絶対に忘れない)こんな状況なので具合は益々良くない。

2018年1月12日金曜日

カムティ ⇒ モンユア

 10日の早朝(6時半)にカムティを出航、遡って来たチンドウィン川をモンユアまで下る、マンダレーに行きたいと言ったらモンユアまででその先には行かないらしい、そこには大きな涅槃仏などがあるので丁度いい、来る時はモンユアの手前(カムティから見て)から乗ったのだけれど、今度の目的地はその先になる、2泊3日も3万チャットも変わりはなかった。
 ついこの間2泊3日の船旅をして、その復路って事もあって全く面白くもない、天気も良くないって事もなさそうなんだが、今回の船はやたら寒く感じる、3日目(12日)の午前中にモンユアに到着したんだけど、咳と喉の痛みで一寸調子が良くない。
 ホテルにチェックイン後薬屋へ、帰りにパンと水を買う、夕方夕食に外出するが食欲なし、焼きトウモロコシを買って帰る。

2018年1月9日火曜日

カムティ

 ここカムティに来たのは、ここから北西にあるラヘ(Lahe)と言う町の先にある、ナンヤン(ナンヨンと聞こえる)という町でナガ族の新年祭が13日から開催されると聞いて行ってみようと思ったからなんだ。
 大した情報もないままここまで来たのだが、ここに来ても大した情報はない、そこへの公共交通機関はない、ラヘの町までなら、ここの対岸のシンテ(Sinte)から、人数さえ集まればっていう4WDで行けるらしい、その先となるとここで車の手配をしていかないと非常に難しいらしい、つまり往復出来る車をここで確保しないと運よく行けたとしてもいつ帰ってこれるかは判らないって事になってしまうらしい、因みに車をチャーターすると900ドルと言われた、これは片道で、往復し現地で数日過すとなると2,000ドルを超える事になる、結局複数人でシェアしたとしても一人3万円程の出費となる、初日にホテルにいた二人の外国人もいなくなって、近くのホテルやゲストハウスを毎日チェックしたが外国人は皆無、シェア出来る外国人が来るかも知れないと淡い期待でこの汚ねぇゲストハウスで4日 (7日~10日)も過ごしたのだけれど時間切れ、明日の船でこの町を出る事に。

2018年1月7日日曜日

カムティ到着

 朝4時発電機が回り電気が点く、外では貨物を乗せているらしい、5時まだまだ暗い中を出航、やはり霧が酷く寒い。
 今までの走り方からするとカムティに到着するのは日が落ちてからになると思う、真っ暗な中ホテル探しをしなければならないようだ。
今日も昨日同様暇、景色も大して変わらないのでごろごろと過ごす。
船飯
 三時半カムティ到着、こんなに早く到着するとは思っても見なかったので嬉しい誤算。
 上陸してまずは冷たいものでも飲んで休息、グーグルマップにあったホテルを目指す、その付近に目指すホテルとは名前の違うゲストハウスがあって西洋人が二人入り口にいたのでこの辺のホテルの事を訊く、この先にも2軒あるんだけど、ここが一番安いと言う、ついでに一番汚いとも言った(笑)
 その一番汚いゲストハウスにチェックイン、強気の15000チャット、しょうがないな。
 ドル払いは出来るかと訊いた所チャットのみとの事、手持ちの現金が残り少ないので、どこかで両替したい、そう言う事になると通じなくなってしまう、部屋代などはすらすらっと英語で言うくせにだ、しょうがないのでこの先にあると言う綺麗なホテルに行って訊いてみると銀行の場所を教えてくれた、今日は日曜日なので閉まっているでしょ、まあその他に両替は出来そうにないので明日行ってみる事に、もし両替が出来なかった場合はATMで引き出す事になるんだけど、ミャンマーではやった事がない。
 その後町を周ってみたのだが見るべきものはないんじゃないかな。
 ネットが全くダメなのでこの辺を抜け出すまではブログの更新や連絡等は出来そうにない。

2018年1月6日土曜日

カムティへ向かう船上

 朝外は真っ暗だというのに物売りの声で目が覚める、船は暗くなった所の町に停泊しているのでそこの人達が朝ごはんなどを売りにくるらしい、パックされた物なので中身は判らないんだけど買ってみた、随分と塩辛いヤキソバだった。
 5時ごろ船は動き出したんだが霧が酷い、前進やら後進やらを繰り返している、何をしているのかさっぱりわからない、その後そろそろと進みだした。
 霧が晴れればかなりの速度で進む、両岸は大して見るものもなく退屈、部屋でごろごろしている他はない、座席の方ではビデオをながしている、時折桟橋もないような所に止まって下船・乗船・貨物の上げ下ろしをする。
 午後になると暑いぐらいになる、川岸に洗濯物を持った女性や子供達が集まって来る、行き交う船からゴミや糞尿が排出されているのも構わず、洗濯や歯を磨いたりしている、東南アジアの濁った土色の水だけでもいやだと思うんだが。

2018年1月5日金曜日

カレーミョ ⇒ カレーワ ⇒ 船上

 7時前にチェックアウトして迎えの車を待つ、ロビーの兄ちゃんが車が来たら知らせてやるから朝飯(朝飯付き)を食べて来いと言う、7時からの朝飯なんで食べずに出発と思っていたのだけれどそう言うので朝飯を食べに、急いで食べてロビーに戻るが車は来ていない、まあ30分はと思っていたが結局迎えに来たのは1時間後、それもバイクが来たんでビックリ、そしたらバスターミナルへ行くと言う、で、飛行場の脇を走ってちょっと行った所でストップ、ここだと言うがバスターミナルとは思えない汚い店の前、そしたらそこに止まっていたまた小汚いスズキの軽トラに乗れと言う、これでカレーワに行くのか?って訊いたらそうだと言う、てっきりワゴン車みたいなやつだと思っていたんだけど。
 1000チャットはずんでおいて正解、荷台にはベンチもなく油汚れの床、これで2000チャットも取るんか?
 カレーワまでは昨夜通って来た道のはず、街灯もなく真っ暗で判らなかったけれどバスが通るのには大変な道でノロノロ運転せざるを得ない。
 1時間半程走ってカレーワに着くと同乗のおばちゃんが運ちゃんに指図をしている、川岸に出るとここで降りろと言うので下車、同乗のおばちゃんそこにいたおばちゃんと会話、するとおばちゃんが座るか寝るかってな事を訊く、何の事だか判らず???
 それがカムティ行きの船の事で座席で行くかスリーパーで行くかってな事が判って手に入れたのが写真の切符、でもその時に判っていた事は、運賃30000チャット、今日出航、寝て行けるって事だけ、何時出航、到着日時、到着地(多分カムティ)が判らない、その後おばちゃん達との根気良い会話に依って午後4時出航、到着は2回寝た後(7日)という事が判った(多分)
 出航は4時と判ったのはいいが行く所もなさそうな街、パゴダが見えたので行ってみる。
 カエルの像があったので写真を撮っていたらおじさんがミャンマー語(?)だかで1292年だか3年だか忘れたけど書いてあると教えてくれた。
 4時半頃川下から来た船が乗る船らしい、切符売りのおばちゃんが付いて来いって言ってるようだ、川岸にいたオッチャンに荷物を持たせて案内してやれと偉そうだ。
 オッチャンに案内されたのは2畳程の個室、ここがこれから3日間(理解が正しければ)の船旅の部屋になる、電源・蛍光灯はあるが昼間は使えない、寝具はなさそうなので寒い時期は対策が必要かも、売店等はない、寄港する度に物売りが乗り込んで来たり、ボートで売りに来るので心配はなさそう。

2018年1月4日木曜日

カレーミョ

 まだ真っ暗な5時カレーミョのバスターミナルに到着、ホテルに行っても開いてはいないだろうからターミナルに屯っている運ちゃん連中にカムティへの行き方などを訊く、共通語彙が極端に少ないので中々大変なのだが、ここからのバスはなくて、手前の カレーワならあるかも知れない、でも船で行くのが楽って事が判った、ここまでのバスでヘロヘロなのに、道は期待出来ないし距離も長いので、すっかり怖気づいてしまっている所へ船(本当か?)と聞いて、一筋の光明が。
 バスターミナルの入り口にあるお店でコーヒーと揚げパンX2で朝食、〆て600チャット。

 明るくなったのでホテルへ、まだ閉まっているので表で待つ、そのうちロビーで寝ていた兄ちゃんが起きて入り口を開けてくれる。
 ミャンマー人17000チャット、外国人30ドルか相当のチャットだと、これに税金が加算される、全て込みで26ドルにまけさせてチェックイン、まあそれなりのホテル。

 ここでもカムティへの行き方を訊いてみる、運ちゃん連中と同じ事を言う、ホテルで車の予約が出来ると言うので明日朝7時の予約をする、ワゴン車らしく助手席なら3000、後部座席なら2000チャットだそう、1000チャット高い(換算はしないように)助手席を確保。

 洗濯をして一休みして外へ、市場やらを一回りしてホテルへ帰る。

2018年1月3日水曜日

マンダレー ⇒ カレーミョ

 日付が変ってすぐにサービスエリアのような所に停車する、全員降ろされて寝ていられない、食事をしろって真夜中にか?食べるのはいいからトイレに行ってバスの所へ戻る。
 六時前にマンダレーのバスターミナルに到着、雨が降っている、これではここに泊まっても外には出られそうにないので先に進む事に、カレーミョって所までなら行けそうなので、バスで行けるか尋ねてみると、ターミナルが違うらしい、かなり離れているのでタクシーで行けと言う、この雨だし7000チャットでOKする。
 無事にバス会社の切符売り場に着いたのだけれど、バスの出発は15時だと、今7時だからまだ8時間もある、他にないならこれに乗るしかないな、お互いかみ合わない言語でここで待っていられる事を確認しチケットを購入 (17000チャット)する。
 さて15時までどうしたものか?雨が降っているので外をウロウロするわけにはいかない、幸いゴロゴロするスペースは十分あるのでうつらうつらしている。
 小降りになった所でバスターミナルまで昼飯を食べに行く、今までで最安の600チャット。

 定時を15分程遅れて出発、バスは昨日とは違って4列、リクライニングシートではあるものの昨夜程にはならない、これで14時間はちょっと大変。

2018年1月2日火曜日

ヤンゴン ⇒ マンダレー

 今日から北部への移動を始める、目的地はLaheという所、途中何カ所かに宿泊予定、まずはマンダレーへ。
 夕方六時にチケット売り場からバスターミナルへの送迎バス(1000チャット)が出るという事なのでそれを利用する事にする、定時に出発したのだが、あちらこちらと回って行く、結局ターミナルまで二時間も掛かって到着、自分でバスなりミニバンで来た方が余 程良かったと思う。
 マンダレー行きのバスは写真のような三列で一列席をチョイスしたので快適、だがタイと同様冷房は効き過ぎ、毛布はあるのだが。

2018年1月1日月曜日

元旦@ヤンゴン

新年明けましておめでとうございます。


 新年だからと言っても特別に変わった事もないようなヤンゴン、人出は多い様に見える、ヤンゴン駅の北側にあるというバスのチケット売り場に行く、明日のマンダレー行き夜行バスを予約、数千から3万チャットを超えるものまである、3万チャットを超えるような豪華バスはパスして16500チャットを選ぶ、さてインドの二の舞はないよな。

 映画館前の屋台では海苔巻きらしき物を販売していた、中身は判らない。